日本からの援助はゼロ
ナウル政府は、日本人の電気や自動車の技師を雇用したり、政府自ら日本レストランを開店するなど日本との協力に期待をかけましたが、長続きしませんでした。
エア・ナウルも「鹿児島ではなく、東京への乗り入れが認められれぱ乗客も増える」と要請を続けていたのですが、日本政府の返事は「ノー」と素っ気ないもの。
日本軍は太平洋戦争の勃発直後からナウルを爆撃し、1942年8月には占領、デロバート元大統領らナウル人1200人をトラック島へ強制移送したのです。
終戦後、生きてナウルに戻ったのは737人でしたが、ナウルは戦時賠償を請求しませんでした。
このため、日本はいっさい賠償を行わず、また現在、南太平洋各国に与えている経済技術援助もナウルへの実績はゼロです。
ナウルの将来がどうなるかは、だれも知りません。
ナウル人自身も知りません。
この質問をすると、彼らは一様に押し黙ってしまいました。
身を削って富を得る日々は残り少なく、キリギリスを苦しめた冬は目の前に迫っているのですが・・・。