太平洋岸の14都市を経済開放 その2
広州市の東方35キロ。
建設中の経済技術開発区で会った広州市対外経済委員会の副主任は、こんなことを言っていました。
「確かに石油が出れば発展にはずみがつくでしょう。
しかし、広州を上海、天津とともに先端技術産業の中核基地にしようというわれわれの計画は、石油問題と直接関係ありません」と断言しました。
84年の10月8日、広州市で広州と蛋を結ぶ高速道鷺設の合意書が取りかわされました。
中国と香港の合弁で85年に着工し、89年開通の予定をたてました。
全長113キロの6車線道路で、2つの都市は1時間ちょっとで結ばれることになりました。
「香港・広州経済圏」の実現は、当時時間の問題だと思われました。
社会主義国家.中国沓れほど大胆に、しかもこんなに急激に変わってよいのか・・・
資本主義国家から来た人間さえ、そんな疑問が頭をよぎりました。
広州市の工科大学で冶金工学を専攻したという友人・金さんは、こちらの疑問を見すかすようにこんなことを言いました。
「みんな頭を切り変え、豊かになろうと一生懸命です。
人々の中にもし変化への戸惑いがあれば、開放政策はこんなに順調に進まないでしょう」と自信たっぷりに言い切ったのです。