独立もとめ、武力行使に出る
独立を求め、武力行使に出たのはカナク社会民族解放戦線(FLNKS)、先住民族のメラネシア系カナク族で組織する"過激派"でした。
FLNKsは、指導者ジャンマリ・チバウ氏を議長として84年12月1日、臨時政府を樹立。
「カナキー」の独立を宣言しました。
そして、島部一帯で道路を封鎖し、独立を武力で勝ち取ろうとしたのです。
この過程で、独立反対のフランス系住民と衝突が起き、爆弾テロ、銃撃戦によって双方に死者が出ました。
カナク族に武器を取らせたものは何だったのでしょうか。
ヌーメアの下町。
小さな公園のベンチに座り、新聞を読みふけっているカナク人の老人に話しかけました。
「この騒ぎをどう思う?」
「お前さん、知ってるかい。この国じゃあ、おれたちなんてお荷物みたいなもんだよ。
フランス人ばかりがいばって・・・」。彼はゆっくりと、しかし悲しみを込めて語りました。
実際、ヌーメアの街を歩くと、メラネシア人たちの表情の暗さが気になりました。
お隣のソロモン諸島やバヌアツのメラネシア人のはつらつとした表情とはどこか違います。
「植民地」という重圧は、微妙に顔に出るものなのでしょうか。
ニューカレドニアの歴史は、カナク族に言わせるとそのまま忍耐の日々だといいます。
1853年のフランス領有宣言以来、抵抗するカナク人に対する弾圧は激しく、人口が一時半分近くになったほど。
土地は取られ、今でも国土の90%以上がフランスなど欧州系によって所有されているのです。
世界一の埋蔵量を誇るニッケルもほとんど欧州系市民が独占しています。
「怨念」は深いでしょう。
フランスは、85年7月に、独立を問う島民投票を行いましたが、カナク人の独立を求める動きは、フランスのミッテラン政権(当時)にも大きな影響を与えていました。
ニューカレドニアは他の島喚国と違う事情がありました。
カナク族などのメラネシア系が総人口14万4000人中、42%と少数派であることです。
ヲランス系市民の中には、この島で生まれ本国を知らない者も多いのです。
ニッケル鉱山を開発し、メラネシア人にも教育や労働のチャンスを平等に与えているとの自負もあります。
「独立して、はたしてまともな国がつくれるのか」とフランス系市民のタクシー運転手さんは言っていました。